記憶と記録の間

社史の行間、従業員の記憶:組織の歴史に刻まれた二つの真実

Tags: 企業史, 社史, 組織文化, 歴史認識, 記憶と記録, 伝承

企業には、その歩みを公式に記録した「社史」が存在することが多くあります。創立から現在までの沿革、主要な出来事、経営戦略の変遷、製品・サービスの歴史、組織体制の変更などが克明に記され、会社の顔とも言える公的な記録として編纂されています。これは、企業の正統性や成功を次世代に伝え、ステークホルダーに対する信頼を醸成するための重要な資料となります。

公式記録としての社史の役割と限界

社史は、経営陣や編纂委員会といった特定の視点から、組織全体の歴史を俯瞰的に捉えようとする試みです。多くの場合、輝かしい業績や困難を乗り越えた成功談、社会への貢献といったポジティブな側面が強調されがちです。これは、社史が企業のブランディングや求心力向上という目的を担っているためであり、その役割としては自然な側面と言えます。

しかし、この「公式な歴史」は、その組織の中で日々働き、様々な経験を積んできた個々人の「記憶」や、部署やチーム内で非公式に語り継がれる「伝承」とは、必ずしも一致しないことがあります。むしろ、しばしば大きな差異が見られます。

従業員の記憶が語る「もう一つの歴史」

組織の歴史は、そこで働く一人ひとりの経験の積み重ねによって紡がれています。従業員の記憶や伝承は、公式な社史には現れにくい、あるいは別の形で描かれている側面を内包しています。

例えば、社史では「構造改革断行による経営効率化」と簡潔に記されているリストラや部門閉鎖は、そこで働いていた人々にとっては、長年貢献してきた職場を失った悲しみ、突然の将来への不安、あるいは理不尽な仕打ちといった、生々しく感情的な記憶として深く刻まれています。社史が合理性や組織の存続を語る一方で、個人の尊厳や生活への影響といった人間的な側面に光が当たるのが、従業員の記憶です。

また、あるプロジェクトの成功が社史で華々しく語られる陰で、現場では予算や人員の制約、技術的な壁、部署間の軋轢、想定外のトラブル対応など、社史には書かれない苦労や葛藤があったかもしれません。そうした困難をいかに乗り越えたか、あるいは乗り越えられなかったかといった経験談は、公式の記録からはこぼれ落ちがちな、しかし組織の文化や働き方の本質を映し出す重要な要素となり得ます。

さらに、社史では理想的な人物像として描かれがちな創業者や歴代の経営者についても、従業員の記憶の中では、社史には記されない人間的なエピソードや、時に厳しい判断、あるいは意外な一面などが語り継がれていることがあります。こうした非公式な伝承は、組織内の人間関係やパワーバランスを理解する上で、社史とは異なる洞察を与えてくれます。

なぜ差異が生まれるのか

このような差異が生まれる背景には、主に以下のような要因が考えられます。

  1. 目的の違い: 社史は対外的な説明責任やブランディング、組織の正当化を主な目的としますが、従業員の記憶は自身の経験の記録、感情の整理、仲間との共感、あるいは後輩への教訓伝達といった個人的・内的な目的が強いです。
  2. 視点の違い: 社史は経営層などトップダウンの視点で組織全体を見渡しますが、従業員の記憶は現場の個々人の視点、部署やチームといった部分的な視点から成り立っています。
  3. 情報の取捨選択: 社史は多くの情報を整理し、特定のストーリーラインに沿って取捨選択を行いますが、記憶は個人的な関心や感情によって特定の出来事が鮮明に残ったり、逆に忘却されたりします。伝承は、語り継がれる過程で誇張されたり、教訓としての意味合いが付加されたりすることもあります。

組織の歴史認識への影響

社史と従業員の記憶という二つの歴史が存在することは、組織の歴史認識に多様性と奥行きをもたらします。社史だけでは見えてこない、現場のリアルな声や感情を知ることで、公式な記録の背後にある人間ドラマや、意思決定が現場にどのような影響を与えたのかをより深く理解することができます。

逆に、個人の記憶だけでは断片的になりがちな出来事も、社史という全体像や公式な時系列と照らし合わせることで、その位置づけや意味合いが明確になることがあります。

組織の歴史を多角的に理解するためには、公式な記録としての社史を批判的に検討すると同時に、そこで働いた人々の多様な記憶や伝承に耳を傾けることが不可欠です。両者を比較し、その差異が生んだ背景を考察することで、私たちは組織というものの複雑さや、歴史の語られ方の多様性について、より深い洞察を得ることができるのではないでしょうか。社史の行間に隠された、あるいは従業員の記憶の中に息づく「もう一つの真実」を探求することは、現代の私たちにとっても、過去から学び、未来を考える上で示唆に富む営みと言えるでしょう。