疫病の公式記録と人々の記憶:災禍に刻まれた二つの側面
はじめに
歴史は様々な形で語り継がれます。国家や公的機関が残した「公式な記録」がある一方で、その時代を生きた人々の個人的な体験や集合的な記憶、あるいは地域に根差した伝承といった形で歴史が刻まれることもあります。これら二つの側面は、時に一致し、時に大きく乖離することがあります。特に、社会全体を揺るがすような出来事、例えば疫病の流行のような災禍においては、この記録と記憶の差異が顕著に現れやすいといえるでしょう。
疫病は、人類の歴史と常に寄り添ってきました。それは単に病気という生物学的な現象にとどまらず、社会構造、経済、文化、人々の心理に深く影響を与えてきました。しかし、その歴史が公式記録と人々の記憶という異なるレンズを通して見られるとき、どのような姿を見せるのでしょうか。本稿では、疫病の歴史を事例として取り上げ、公式記録が描く世界と、人々の記憶・伝承が伝える世界との間に存在する差異とその背景、そしてそれが私たちの歴史認識に与える影響について考察します。
公式記録が語る疫病
公的機関や医療機関が作成した公式記録は、疫病の歴史を知る上で非常に重要な資料です。そこには、いつ、どこで病気が発生し、どれだけの人が罹患・死亡したかといった統計データ、政府や自治体が行った対策、医療体制の状況、研究者の報告などが記されています。これらの記録は、事態の客観的な把握、政策決定の根拠、後世への正確な情報伝達を目的として作成されることが多く、その時代の社会が疫病という現象をどのように捉え、対処しようとしたのかを知る手がかりとなります。
例えば、日本の歴史においては、江戸幕府や藩が飢饉や疫病に際して記録を残しています。そこには、病名(当時の呼称を含む)、患者数、死亡者数、隔離措置、祈祷や薬の配布といった対策、あるいは米価の変動などが淡々と記されていることがあります。これらの記録から、私たちは当時の疫病の規模や社会の対応の枠組みを理解することができます。
しかし、公式記録は性質上、統計や施策といったマクロな視点に偏りがちです。数字の背後にいる一人ひとりの苦しみや恐怖、あるいは病気によって失われた日常、家族との別れといった個人的な経験や感情は、公式記録にはほとんど現れません。また、記録を作成する側の立場や目的によって、特定の情報が強調されたり、あるいは意図せずとも抜け落ちたりする可能性も否定できません。
人々の記憶に残る疫病
一方、疫病を経験した人々自身の記憶や、それが語り継がれて地域に根付いた伝承は、全く異なる視点から歴史を照らし出します。個人的な日記や書簡、当時の瓦版や絵画、あるいは後世に語り継がれた物語や民話、祭事などは、公式記録では見えない人々の生の声や感情を伝えてくれます。
そこには、病気の不気味な症状に関する具体的な描写、感染への恐怖、患者に対する差別や偏見、流行の波がもたらした社会の混乱や倫理観の揺らぎ、そして同時に見られた助け合いや連帯といった、人間の多様な側面が描かれています。また、科学的な知識が十分でなかった時代には、病気に対する迷信や呪術的な対策、特定の神仏への祈願といった、その時代の世界観や信仰が色濃く反映された話も多く伝えられています。
例えば、江戸時代に大流行したコレラ(当時の人々は「コロリ」などと呼び恐れました)に関する当時の瓦版や鯰絵(地震を鯰のせいとする当時の風俗画がコレラの流行と結びついたもの)には、病気の恐ろしさや、人々が抱いた不安、迷信的な予防策などが克明に描かれています。また、地域によっては、疫病を鎮めるための特別な祭りや行事が生まれ、それが現代まで続いている場合もあります。
これらの記憶や伝承は、公式記録の客観性とは異なり、非常に個人的で感情的、あるいは地域に限定されたものです。また、時間とともに人々の記憶は薄れたり、都合よく改変されたり、あるいは物語として脚色されたりすることもあります。しかし、それらは公式記録には捉えきれない、疫病という「出来事」が人々の生活や心にどのような痕跡を残したのかを理解するための貴重な資料といえます。
なぜ記録と記憶は異なるのか
疫病に関する公式記録と人々の記憶・伝承の間に差異が生まれる背景には、いくつかの要因が考えられます。
第一に、記録する目的と主体の違いです。公式記録は行政や医療の視点から、事態の管理や対策のために作成されます。これに対し、人々の記憶は個人的な体験や感情に基づき、自己の記録、あるいは他者への伝達(恐怖の共有、教訓の継承など)を目的とします。
第二に、対象とする範囲と視点の違いです。公式記録は全体像や統計といったマクロな視点に焦点を当てる傾向がありますが、人々の記憶は個別の出来事、具体的な人物、個人的な苦労といったミクロな視点に根差しています。
第三に、情報の性質と伝達方法の違いです。公式記録は正確性や客観性を重視し、文字や数字といった形式で記録・伝達されます。一方、人々の記憶や伝承は、感情や主観が含まれやすく、口頭や物語、絵画といった多様な形で伝わります。特に口承による伝承は、時間とともに内容が変化しやすいという特性を持ちます。
二つの視点から見る歴史
これらの差異は、私たちが疫病の歴史を理解する上で非常に重要な示唆を与えてくれます。公式記録だけを参照すれば、私たちは疫病の規模や社会の対応策といった側面は理解できますが、当時の人々が実際にどのように感じ、考え、行動したのかといった生きた歴史を見落とす可能性があります。
逆に、人々の記憶や伝承だけでは、個別のエピソードに終始し、疫病全体の規模や社会全体の対応といった巨視的な視点を欠いてしまうかもしれません。また、伝承に含まれる迷信や非科学的な記述は、当時の人々の置かれた状況や精神状態を理解する上では重要ですが、事実関係の確認には公式記録など他の史料との照合が必要となります。
公式記録と人々の記憶・伝承、これら二つの異なる「記録」を参照し、両者を突き合わせることで、私たちはより多角的で立体的な歴史像を描くことができます。公式記録の客観的なデータに、人々の記憶が伝える感情や具体的なエピソードという血肉を与えることで、歴史上の出来事をより深く、そして人間的に理解することが可能になるのです。伝承に現れる迷信や社会不安は、公式な対策記録だけでは見えない当時の社会心理を映し出す鏡となり得ます。
おわりに
疫病という災禍は、公式な公文書の中に数字や対策として記録される一方、それによって翻弄された人々の心や生活の中に、恐怖、悲しみ、希望、そして時に迷信といった複雑な感情や具体的な出来事として深く刻み込まれてきました。
私たちは公式記録を通じて、過去の社会が危機にいかに立ち向かおうとしたかを知ることができます。そして人々の記憶や伝承を通じて、その時代を生きた一人ひとりが、その危機をどのように感じ、どのように生き抜いたのかを垣間見ることができます。歴史を深く理解するためには、これら二つの異なる、しかし補完的な記録に耳を傾けることが不可欠です。
公式記録と人々の記憶の間にある差異に目を向けることは、歴史が単一のものではなく、多様な声と視点によって織り成されていることを改めて認識させてくれます。そしてそれは、現代社会や未来において直面するであろう様々な課題に対しても、多角的な視点を持つことの重要性を教えてくれるのではないでしょうか。歴史の記録の行間や、語り継がれる声の奥に、私たちは常に新たな発見を見出すことができるのです。