記憶と記録の間

「台本」の文字と「型」の記憶:歌舞伎に刻まれた二つの歴史

Tags: 歌舞伎, 歴史, 伝承, 記録, 舞台芸術

歴史を紐解く際、私たちはしばしば古文書や公的記録、年代記といった文字による記録に頼ります。これらは客観的な事実や出来事の経過を知る上で非常に重要な資料となります。一方で、歴史はそうした公式な記録だけでは語り尽くせない、人々の記憶や口頭伝承によっても形作られています。この二つの異なる視点――「記録」と「記憶」――を比較することで、歴史の語られ方や認識には多面性があることが見えてきます。

今回は、日本の古典芸能である歌舞伎を例に、この「記録」と「記憶・伝承」の差異がどのように現れ、歌舞伎の歴史をどのように彩ってきたのかを考察してみましょう。

公式記録としての歌舞伎

歌舞伎の歴史を知るための公式な記録としては、以下のようなものが挙げられます。

これらの記録は、いつ、どこで、どのような演目が、誰によって演じられたか、といった歴史的な事実を把握する上で不可欠です。当時の歌舞伎がどのような形態で行われ、どのような役者が活躍したのかを知る手がかりとなります。研究者はこれらの記録を分析し、歌舞伎史の骨格を構築しています。

しかし、これらの文字による記録だけでは、実際の舞台で何が行われたのか、観客が何を感じたのか、といった舞台芸術の「生きた」部分は捉えきれません。台本には基本的な指示はあっても、具体的な演技のニュアンスや演出の細部は書かれていないことが多いためです。

記憶・伝承としての歌舞伎

公式記録の行間を埋め、歌舞伎の歴史に血肉を与えているのが、人々の記憶や口頭による伝承です。これらは主に以下のような形で受け継がれてきました。

記録と記憶の差異から見えるもの

公式な文字記録(台本や番付)と、身体や言葉を通じて伝えられる記憶・伝承(型や芸談)の間には、しばしば差異やずれが生じます。

例えば、ある演目の台本には書かれていないにも関わらず、舞台では必ず行われる有名な演出や立ち回りがある場合があります。これは、初演時や過去の名優が加えた創意工夫が、非常に効果的であったため「型」として定着し、代々受け継がれていった結果です。台本という「設計図」は同じでも、実際の「建築物」たる舞台は、時代や演者、観客との相互作用の中で常に変化し、新たな記憶や伝承を生み出していくのです。

また、公式記録は往々にして出来事の結果や形式を記しますが、そこに込められた感情や背景、意図といった深層部分は捉えにくいものです。役者の芸談や観客の記憶は、記録には表れない個々の体験や解釈を私たちに伝えてくれます。ある時代の歌舞伎がなぜ人々に熱狂的に支持されたのか、あるいは批判されたのかといった、より人間的な側面は、こうした記憶や伝承から読み取れることが多いのです。

この差異は、単なる記録の不完全さを示すものではありません。むしろ、舞台芸術が常に生き物であり、過去から現在へと受け継がれる過程で、人々の手によって再創造され続けている証と言えるでしょう。「記録」が歌舞伎の骨格を伝え、「記憶・伝承」がその血肉や息遣いを伝えることで、私たちは歌舞伎の歴史をより豊かに、多角的に理解することができるのです。

まとめ

歌舞伎の歴史は、文字による公式記録と、舞台を通じて受け継がれる身体や言葉の記憶・伝承という、二つの異なる層によって成り立っています。台本や番付といった記録は歴史の客観的な事実を示しますが、型や芸談といった記憶・伝承は、舞台の熱気や役者の魂、観客の感動といった、記録には写しきれない人間的な側面を伝えてくれます。

この「記録」と「記憶・伝承」の差異に注目することで、私たちは単に過去の出来事を知るだけでなく、その時代に生きた人々の息遣いや感情に触れ、歴史をより立体的に捉えることができるのではないでしょうか。公式記録と人々の記憶の間には、常に新たな発見と深い考察の余地があるのです。