記憶と記録の間

「結核」の記録と人々の記憶:国民病が刻んだ二つの側面

Tags: 結核, 国民病, 公式記録, 人々の記憶, 社会史, 医療史, 近代日本

「結核」の記録と人々の記憶:国民病が刻んだ二つの側面

かつて「国民病」と呼ばれ、多くの人々の生命を脅かした結核。医学の進歩により、現代では治療可能な疾患となりましたが、その歴史は日本社会に深く刻み込まれています。この病の歴史を振り返る際、私たちは主に統計データや医療・行政記録といった「公式な記録」を参照します。しかし、そこには数字や施策の背後に隠された、病と向き合った人々の個人的な体験や感情、あるいは社会的な現実といった「人々の記憶」が存在します。

公式サイト「記憶と記録の間」のコンセプトに沿い、本稿では結核を巡る公式な記録と人々の記憶という二つの異なる視点から、この病が日本社会に刻んだ歴史の多面性を探求します。

公式記録が語る結核史

結核は、明治以降の近代化に伴い都市部を中心に広がり、日本の主要な死因の一つとなりました。公的な記録、例えば死亡率の統計や、結核予防法といった法令、あるいは保健所やサナトリウム(結核療養所)の設置・運営に関する行政文書は、この病が国家にとってどれほど深刻な脅威であったかを物語っています。

統計データは、結核による死亡率のピークが戦前・戦中にあり、特効薬ストレプトマイシンなどが普及した戦後に劇的に減少していった過程を明確に示しています。また、結核予防法の改正やBCG接種の普及率は、国が結核対策にいかに力を入れてきたかを記録しています。これらの記録は、結核という病が社会全体に与えた影響、そしてそれを克服しようとする取り組みの「客観的な」歴史として語られます。

記録からは、患者数や死亡数の推移、医療施設や医療従事者の数、予算などが把握でき、公衆衛生政策の効果や社会構造の変化を読み解く手がかりとなります。しかし、これらの数字や施策の裏で、個々の人間がどのように生き、感じていたのかを知ることは難しいのが実情です。

人々の記憶が語る結核史

一方、結核は文学や個人の手記、あるいは口承といった「人々の記憶」の中にも深く刻まれています。堀辰雄の小説『風立ちぬ』に描かれた高原のサナトリウムでの療養生活や、高見順が自身の闘病体験を記した『故旧忘れ得べき』などは、文学作品という形で個人的な記憶が昇華された例と言えるでしょう。

こうした記憶は、公式記録の数字からは見えてこない、病そのものの苦痛、家族の看病の負担、療養所での独特な人間関係、そして病気に対する社会的な偏見や差別の実態を生々しく伝えます。当時、結核は伝染病として恐れられ、患者やその家族が周囲から隔離されたり、職を失ったりすることも少なくありませんでした。これらの社会的なスティグマは、公式記録には直接的には現れにくい、人々の心に深く刻まれた歴史です。

また、療養所での生活の記憶は、単に病と闘う場であっただけでなく、同じ境遇の人々との連帯や、限られた環境の中で見出されたささやかな喜びといった、複雑で豊かな人間ドラマが存在したことを示しています。それは、公式な医療記録が淡々と記す「病状」や「治療経過」だけでは捉えきれない歴史の深みです。

記録と記憶の差異、その要因と影響

結核を巡る公式記録と人々の記憶の間には、しばしば看過できない差異が存在します。公式記録は、社会全体の傾向や施策の効果を把握するためのものであり、個人の感情や体験は捨象されがちです。例えば、統計上死亡率が減少しても、それは個々の家庭にとっては愛する者を失った深い悲しみであり、その悲しみは統計の数字からは読み取れません。

また、人々の記憶は、必ずしも客観的な事実や時系列に正確であるとは限りません。感情や時間の経過によって歪められたり、特定の出来事が強く印象付けられたりすることがあります。しかし、その「歪み」や「印象」こそが、その時代を生きた人々にとっての「真実」であり、歴史を理解する上で重要な視点を提供してくれます。

なぜこのような差異が生まれるのでしょうか。それは、記録の目的と記憶の機能の違いに由来します。公式記録は管理や統計、あるいは後世への「公的な」情報伝達を目的とする一方、人々の記憶は自身の体験を整理し、感情を伴って内面化されたものです。また、記憶は語り継がれる過程で形を変え、伝承や伝説の要素を帯びることもあります。

この記録と記憶の差異を認識することは、結核史、ひいては近代日本の社会史をより立体的に理解するために不可欠です。公式記録は全体の枠組みや大きな流れを示しますが、その中で人々がどのように生き、苦しみ、希望を見出したのかは、人々の記憶の中にこそ息づいています。公式記録だけを見れば、結核は克服された過去の病に見えるかもしれません。しかし、人々の記憶に触れるとき、それは依然として生々しい苦悩や差別、そして人間的なつながりといった重層的な歴史として立ち現れるのです。

結びにかえて

結核という病が日本社会に刻んだ歴史は、公的な数字や施策といった公式記録と、実際に病と向き合った個々人の体験や感情といった人々の記憶という、二つの異なる語り口を持っています。この二つの語り口は時に一致し、時に大きく乖離します。しかし、どちらか一方だけでは、歴史の全体像を捉えることはできません。

「記憶と記録の間」にこそ、歴史の豊かな奥行きと、そこに生きた人々の息遣いが宿っています。結核史を探求する上で、公式記録の正確性と統計的な意義を理解しつつ、同時に人々の記憶に耳を傾けること。それこそが、単なる過去の出来事としてではなく、人間の営みとしての歴史を深く理解するための鍵となるのではないでしょうか。

私たちは、この二つの視点を行き来することで、公式記録の行間に隠された真実や、語り継がれる記憶が持つ重みを知り、歴史に対する新たな視点を得ることができるのです。