記憶と記録の間

電信電話史と家庭の記憶:通信技術が結んだ二つの歴史

Tags: 電話, 通信技術史, 生活史, 記憶と記録, 歴史認識, 技術と社会

はじめに:電話という技術と歴史の二つの顔

現代社会において、電話は当たり前のコミュニケーション手段となりました。スマートフォンを手にすれば、世界のどこへでも声が届けられる時代です。しかし、電話がまだ希少で高価な技術であった時代、それは人々の生活、家族、そして社会に計り知れない変化をもたらしました。

この電話の歴史を振り返る際、私たちは主に二つの異なる記録に触れることになります。一つは、国や企業が通信網を整備し、技術を開発し、サービスを提供してきた過程を示す「公式な記録」。もう一つは、電話の登場によって人々の暮らしや感情がどのように変化したのか、個々人がどのように電話と向き合ってきたのかという「人々の記憶や伝承」です。

「記憶と記録の間」では、公式な記録だけでは捉えきれない歴史の側面を探求することを目的としています。本稿では、電話という通信技術の歴史を、「電信電話史」といった公的な記録と、「家庭の記憶」に代表される個人の体験という二つの視点から見つめ直し、それぞれの差異と、それが歴史の語られ方に与える影響について考察します。

電信電話史が語る「記録」としての電話

電話は、19世紀後半に発明され、瞬く間に世界中に普及していきました。日本においては、明治時代に官営の事業として導入され、徐々にその網を広げていきました。この過程は、逓信省(後に郵政省、現総務省等)の記録、日本電信電話公社(電電公社)、そして現在のNTTグループといった通信事業者の公式な資料、技術開発の記録、統計データ、関連法規などによって詳細に記録されています。

これらの公式記録は、電話の歴史を国家的なインフラ整備の観点から捉えます。いつ、どこに交換局が設置され、どのような技術が導入され、契約者数がどのように増加していったか。電話料金の変遷、国際電話の開始、自動交換機の導入、ダイヤル式の普及、そしてプッシュホンへの移行といった技術的な進歩や、それに伴う通信システムの巨大化、効率化の歴史が克明に記録されています。また、災害時の通信確保や、戦争における通信網の役割といった、社会全体に関わる側面もこれらの記録から知ることができます。

公式記録は、マクロな視点から電話網全体の発展や技術の進化を客観的に捉える上で非常に重要です。それは、電話という技術がどのように社会基盤として構築され、機能してきたのかを示す確固たる証拠となります。

家庭の記憶が語る「記憶」としての電話

一方で、電話の歴史には、公式記録にはなかなか現れないもう一つの側面があります。それは、電話が各家庭に、個人の生活に、そして人々の心にどのような影響を与えたのかという「記憶」の歴史です。

初めて自宅に電話が引かれた日の感動、家族が黒電話のそばで受話器を取り合う姿、遠方にいる親戚や恋人との長距離電話、急病の知らせを受けた時の衝撃、公衆電話で待ち合わせの連絡を取った経験など、電話にまつわる個々人の記憶は枚挙にいとまがありません。電話交換手として、人々の声をつなぐ仕事に従事した人々の記憶もまた、公式記録にはない貴重な声です。

公式記録が通信網の物理的な拡大や技術の進歩を記すのに対し、個人の記憶は電話を通じたコミュニケーションが生み出した感情、家族の絆、社会関係の変化、そして「声を聞く」ことの重みといった、より人間的で感情的な側面を語ります。電話が普及するまで、遠方の人との連絡は手紙が中心であり、声を聞くことは特別なことでした。電話の登場は、この「声」を通じたリアルタイムのコミュニケーションを可能にし、人々の距離感を劇的に変化させたのです。

例えば、終戦後に海外からの引き揚げ者が日本国内の親族に電話で安否を知らせた時の切迫した記憶、あるいは高度経済成長期に一家に一台、電話がステータスシンボルとなり、近所の家まで電話を借りに行った記憶など、個々の体験は、時代の空気や社会状況を映し出す鏡ともなります。

記録と記憶の差異、そして歴史認識への影響

電信電話史という公式記録と、家庭の記憶という個人の体験は、同じ「電話の歴史」を語りながらも、その焦点、内容、そしてニュアンスにおいて大きく異なります。

公式記録は、一般に正確性、客観性、網羅性を重視し、国家や企業の活動、技術の進歩、統計的な事実といった、検証可能な事柄を中心に記述されます。しかし、そこからは、技術が人々の生活にどのように溶け込み、どのような感情やドラマを生み出したのかといった、個人の主観的な体験や微細な心の動きを知ることは難しいでしょう。

対照的に、個人の記憶や伝承は、主観的であり、断片的であり、時に感情によって色付けされることもあります。しかし、それらは公式記録にはない「生きた声」であり、技術がもたらした変化を人々の生活実感として捉える上で不可欠な情報源です。電話が結んだ家族のドラマ、地域社会の変化、新しい人間関係の構築といった側面は、まさにこうした記憶の中にこそ鮮やかに息づいています。

この記録と記憶の差異は、歴史の語られ方、そして私たちの歴史認識に深く関わっています。公式記録に基づいた歴史は、しばしば社会全体の発展や技術の進歩といった壮大な物語を描き出しますが、その過程で置き去りにされがちな個人の苦悩や喜び、日常のささやかな出来事は、記憶の中に留め置かれます。

公式記録だけを見れば、電話の普及は単なる技術進歩とインフラ整備の成功物語として映るかもしれません。しかし、人々の記憶に耳を傾ければ、そこには電話がもたらした喜びだけでなく、高額な通話料に苦労した経験、深夜の呼び出しに悩まされた経験、あるいは電話越しにしか会えない人への切ない思いといった、様々な感情や困難があったことも見えてきます。これらの記憶は、技術の普及が常にバラ色の未来だけをもたらすわけではないという、より複雑で人間的な歴史の真実を教えてくれます。

結論:二つの視点から歴史を紡ぐ

電話という身近な技術の歴史を紐解く際にも、公式な電信電話史という「記録」と、個々人の「記憶」という二つの視点が欠かせないことがわかります。公式記録は客観的な事実や全体像を提示し、記憶は人々の生活や感情といった内面的な側面を補完します。

これらの二つの異なる情報は、時に互いを補強し合い、時に矛盾や差異を示しながら、私たちに電話が社会と人々に与えた影響の全体像をより豊かに理解させてくれます。公式記録に個人の記憶を重ね合わせることで、私たちは単なる技術史や社会史を超えた、生身の人々が織りなす多様な歴史の物語に触れることができるのです。

歴史を多角的に捉えるためには、公式な記録の検証はもちろんのこと、人々の語り継ぐ記憶や個人的な体験にも敬意を払い、耳を傾ける姿勢が重要です。そうすることで、私たちは歴史教科書や公文書だけでは決して見えてこない、より深く、より人間的な歴史の姿に出会うことができるでしょう。