予防接種台帳の数字と人々の記憶:近代公衆衛生史の二つの側面
近代公衆衛生の礎と、そこからこぼれ落ちる声
近代国家の成立、そしてその維持・発展において、公衆衛生の向上は不可欠な要素でした。特に感染症対策は、人々の生命を守り、社会活動を安定させる上で極めて重要な課題であり、予防接種はその中心的な施策の一つとして推進されました。天然痘、ジフテリア、結核など、かつて多くの命を奪った病気に対して、国や自治体は予防接種制度を整備し、国民への接種を奨励、あるいは義務化していきました。
この過程で生まれるのが、「公式な記録」と「人々の記憶・伝承」という二つの歴史の語り口です。公的な機関には、いつ、誰に、どのような予防接種を行ったかを示す台帳が作成され、接種率や対象疾患の発生状況といった統計データが記録として蓄積されていきました。これらの記録は、予防接種がいかに感染症を抑制し、公衆衛生の向上に貢献したかという「成功の歴史」を雄弁に物語っています。
しかし、これらの数字や制度の記録だけでは、予防接種が導入され、人々の生活に浸透していく過程の全てを捉えているわけではありません。そこには、実際に予防接種を受けた人々、子どもに受けさせた親たちの様々な感情、体験、そして地域社会での受け止め方といった「記憶」のレイヤーが存在します。
記録が示す「成功」の歴史
予防接種台帳や公衆衛生に関する統計資料は、客観的なデータに基づいた歴史の証拠として非常に価値が高いものです。例えば、特定の地域で天然痘ワクチンの接種率が向上するにつれて、天然痘の発生率が劇的に低下したことを示すグラフは、予防接種の効果を明確に裏付けます。また、制度の変遷を記録した公文書からは、予防接種がどのように法律によって規定され、国民への普及が図られていったのかを知ることができます。
これらの記録は、感染症という脅威に対し、科学技術と組織的な取り組みがいかに有効であったかを示す、近代の輝かしい功績の一部と言えるでしょう。国家が主導し、医学的知見に基づいて人々の健康を守ろうとした努力の軌跡が、これらの公式記録にはしっかりと刻まれています。
記憶が語る「体験」の歴史
一方、人々の記憶や地域に語り継がれる伝承は、公式記録とは異なる側面を私たちに提示します。予防接種の導入当初、得体の知れない液体を体内に注入することへの不安や抵抗感は少なくありませんでした。「種痘」の際には、牛の痘痂を用いることへの心理的な抵抗や、副作用への恐怖から接種をためらう人々もいました。
集団接種会場での子どもたちの泣き声、痛みに耐えた記憶、接種痕が残った腕への複雑な思い。また、稀に発生した副作用や健康被害に関する噂話や、それによって生まれた地域社会の動揺。これらは公式の予防接種台帳には数字として現れることのない、極めて個人的で感情的な記憶です。
さらに、予防接種を巡る迷信や、非科学的な民間療法への依存といった、科学的知識の普及が十分でなかった時代の社会状況も、人々の記憶の中に刻まれています。予防接種の強制に対する反発や、自分の体の決定権を巡る葛藤といった、自由と公衆衛生の間の緊張関係も、時に記憶として語り継がれることがあります。
なぜ記録と記憶は乖離するのか
公式記録と人々の記憶の間に差異が生まれるのは、それぞれの記録・伝達の目的と性質が異なるためです。
公式記録は、主に管理、効果測定、制度の正当化といった目的で作成されます。ここでは個人の感情や体験は捨象され、集計可能な事実や数字が重視されます。国家や組織にとって都合の良い情報、あるいは公的な目的を達成するために必要な情報が優先的に記録される傾向があります。
対して、人々の記憶は個人の体験や感情に深く根差しています。痛かった、怖かった、不安だった、助かった、後悔した、といった主観的な要素が色濃く反映されます。また、記憶は伝承される過程で変容したり、特定の出来事が強調されたりする特性を持っています。公式記録には残らないような、日常生活レベルでの受け止め方や、制度への無言の抵抗、あるいは盲目的な受容などが、記憶の形で残されることがあります。
差異から見えてくるもの
この記録と記憶の差異を比較検討することで、私たちは近代公衆衛生史をより立体的に理解することができます。公式記録が示す感染症抑制の「偉業」の裏側で、人々がどのような思いを抱き、どのような社会的な摩擦が生じていたのかが見えてくるのです。
予防接種は、単なる医療技術の導入ではなく、人々の身体、健康観、そして国家と個人の関係性に深く関わる社会的な出来事でした。公式記録は制度の骨子を示しますが、記憶はそれに血肉を与え、当時の人々の息遣いを伝えてくれます。予防接種を巡る不安や抵抗の記憶は、科学や公的な介入が必ずしも無条件に受け入れられたわけではない現実を示唆し、健康や医療に対する多様な価値観が存在したことを教えてくれます。
二つの語り口から歴史を捉える
予防接種台帳の数字は、確かに感染症との戦いにおける重要な記録です。しかし、その数字の背後には、一人ひとりの痛みや不安、あるいは希望といった、記録には載らない無数の「記憶」が存在します。
歴史を深く理解するためには、公的な記録が語る客観的な事実だけでなく、人々の記憶や伝承が伝える主観的な体験にも耳を傾ける必要があります。二つの異なる語り口を重ね合わせることで、私たちは近代公衆衛生がたどった道を、より豊かで人間的な視点から捉え直すことができるのです。公式記録と人々の記憶の間にある隙間こそが、歴史の多面性を示唆する重要なヒントを与えてくれるのではないでしょうか。